備忘録

特別お題「わたしがブログを書く理由

まず、なぜブログなのか

instagram、X、FacebookTikTokと動画や写真がどんどん流れていく、現代に自分が必要と思う理由を考えてみた。

 

文字も書くより打つ方が早い。

ノートに書くなら写真に残したほうが楽だし無くさない。

手紙を送るよりメール、LINEのほうが早い。

時代の進化とは恐ろしいもので、日に日に便利になっていく。

 

そもそも手で書く日記からブログになりSNSにupするという移り変わりのなかで、ブログを書く意味ってなんだったのだろうか自問自答する。

 

私事だが日記を中学生の頃からたまに書くくせがある、20年くらい時を経ても、実家に帰って寝床の裏に落ちているcampusノートを発見することがある。

 

中を開くと、中二病真っ只中の自分に再会する

昔の自分を振り返るなんていい物ではなく、ただただ乱雑に気持ちの吐露、激しい感情だ。

 

自分が超有名になることがあれば、自叙伝として笑いの一つにでもなるが、今のままだとただ痛かった自分。というみんなのドン引きネタの一つになってしまう。(それはそれで笑いの一つかもしれない)

 

もし親が整理整頓に見てしまったのであれば、何も言わずにそっと燃やしてほしいものだ。

 

そう、そんな燃やしてほしいと思うような物でも自分では捨てることができないのです。 

その時の感受性、痛み、苦しみ、楽しみを捨ててしまうのは、全て忘れてしまうようで寂しいからです。

 

自分自身日記〜ブログにその後移り、mixiを経てまたこのブログに舞い戻って来たのだが、物事へ取り組む自分の本質は変わらない。

 

結局手書き日記もブログもSNSも同じで、過去の自分の生きた記憶でもある。

自分のことを書くのも、商売に使うのも、自分の管理をするのも、いつか振り返った時に残る自分の記憶があるのだと思う。

 

だから私は駄文だろうと、たまに書く。

人間の脳は忘れていくものだから、文字に言葉に形に残すことで忘れない。

私がブログを書く理由は単純だった。

 

今の自分を忘れないために書いておきたい。という気持ちだった。

まさに備忘録でした。

 

言葉と文字も人に影響を与えれるものだから、日記のように物の形が無くなる前に、いつまでもクラウド上、アプリ上にブログとして形に残っていてほしいと思いました。

 

…。

今も夜のテンションで書いてしまった。

朝になって読み返したらポエムに見えるかもしれないな。